アラサーニコのこじらせ女子卒業記録

ブログ名は「卒業記録」ですが、脱こじらせ女子を目指して、実際卒業できるよう奮闘記を記録するブログです。

あの時の選択

こんばんは。ニコです。

人生は選択の連続と言いますよね。


ニコは25歳のとき婚約が破断しました。

「選択を間違った」と思いました。


その男に人生を捧げようと思ったこと。

その男と付き合ったこと。

その男と出会ったあの場所へ行ったこと。


と遡り、思いました。

それだけでは済まず、


いや、待てよ。


ひょっとしたら、

今日どの服を着るか、

ご飯は何を食べるか、

歯ブラシはピンクを買うかグリーンを買うか、

靴を右足から履くか、左足から履くか、

そういう一つ一つの小さな選択の積み重ねを全て間違ってきてしまったのではないか。


その時の私は、そう考えてしまいました。


「全て」という極端な考え方をしている時点で、既にうつが発症していたのかもしれません。


もうそうなってしまったら、

あいつが悪い、憎いとかよりも、(二股プロポーズでした)

自分が信用できなくて大混乱になりました。


今まで私は全部間違っていた。

自分の判断基準が間違っていた。

自分の価値観が間違っていた。

だから今みでやってきたことは全て間違っている。

じゃあこれから、何を頼りに判断するの?

日常が選択の連続なら、この先どうやって行きていくの?

もう自分のことなんて信用できない。


これまで完璧な人間ではないけれど、

自分の価値観はしっかりある方だったし、

良くも悪くもやってきた通りの成果だと思ってました。

それが、突然崩れ去ってしまいました。


おかしいと思う出来事や

嫌だなと思うことをしてくる人もいたけれど、

間違っているのは私。


もう自分の正しさを主張する気もありません。


私が、そんなに間違えてたんだ…。

私が全部いけないんだ…。


これもうつの症状らしいのですが、

そのうち世の中の全部を自分がダメだからと考えるようになってました。


私と関係ないのに、

職場の人が寝坊したのも、

道行く他人の歩きタバコも、

ニュースで報道される犯罪も、

「私のせいだ。ごめんなさい。ごめんなさい。」

と本気で思って泣いてました。

直接でなくとも、何かの繋がりはバカな私には理解できないけれど、巡り巡って自分の小さな選択ミスだと思い込んでいました。

ネガティブな方に自意識過剰でした。


励ましてくれる友人。

勝手に追い込まれる自分。


普通を装おうとしても、

もうできませんでした。


職場のパートさんも仕事が忙しすぎるんじゃないかと心配してくれました。


食欲がない。

朝、起きれない、

会社に行けない、

部屋が取っ散らかる、

ゴミの日さえわからない、

何もしたくない、

誰にも会いたくない…。


しばらくしても気持ちが持ち直さない。

楽しかったことさえ、楽しくない。


これは何かおかしい。

何もしたくないけど、

このままでいるのも辛い。

どうにかはしたいから病院へ行きました。


「病院に行く」という選択は正しかった。


うつを治療できました。


大学の時の授業でうつはどんな病気か、

少しは知識があった。

友達にうつを経験したと話してくれた子がいた。

うつを打ち明けたとき、母親は

「代わってあげたいけど、代われないから、ちゃんと治しなさい。あんたの人生はきっと、これまでよりもこれからの方が長いんだから。」と言ってくれました。


だから今、元気でいられる。

貧血とか低血圧とかなんとか、

ブーブー言っててもうつは再発していない。


私は今でも自分の選択には自信がない。

取捨選択して片付けするのは苦手。

買い物を選ぶのも苦手。

人前で意見を言うのも苦手。

でも間違えたからって、たいしたことはない。

何も正しい選択と間違った選択の二通りに全てが分類できるわけでもない。

正しさにこだわる必要はない。


自分が気分よく過ごせる方を選択していきたい。

私が心から笑っていられる選択なら、それこそが正しい選択だ。