アラサーニコのこじらせ女子卒業記録

ブログ名は「卒業記録」ですが、脱こじらせ女子を目指して、実際卒業できるよう奮闘記を記録するブログです。

自殺念慮

こんばんは。ニコです。

重たいタイトルについて後述しますが、

ニコは死ぬ気ありませんよ!

 

先日のお休みに久しぶりに図書館に行きました。

お片づけをしても、

まだまだ部屋にたくさんの本があって、

まだ読み終わってないものや、

読まないにしても片付けてないものが多いので、

新しい本を買うのも借りるのも、かなりセーブしています。(ゼロにはなってませんが)

今までだったら、悩みを解決できるような新しい知識が欲しくて、すぐに買ってどんどん増やしちゃっていました。

ほとんどのことは、同じことが既に手元の本に書いてあるのに。

たくさん買ったって、解決するわけじゃないのに。

本を読まなければいけない、

片付けなければいけない、

読んだことを実践して身につけなければならない、

なのに、まだまだこんなにできていない

って、余計に自分を責めてしまっていることを、お片づけを始めてから学びました。

 

別の日に用事があってお役所にも行きました。

図書館のあるフロアの真ん中のコーナーでも、お役所の一階ロビーにも、同じテーマの展示や本が置いてありました。

「自殺」というテーマで。

どうやら今月は「自殺予防週間」というものがあり、それに合わせたものだったようです。

 

残された家族のメッセージや、自殺者の経緯などが展示されていました。

私は自分がうつを経験してから、そういった方の辛さや自殺願望が、ほんの少しだけわかるようになりました。

本当は勝手にわかった気になってるだけかもしれませんが。

読んでいて、勝手に共感して、少し泣きそうになりました。

本当は、亡くなった方の真の辛さは誰にもわからないし、

自殺せずこうして生きている人に、

「わかるよ。」なんて軽々しく共感しないでほしいんだろうけど。

真面目で、優しくて、人に相談できなかった人でした…ご遺族の方は版を押したようにそう書いているけれど、亡くなった方はそれまで各々の人生や考えがあったはず。

そしてやはり、うつを発症していた方が多い。

日本の自殺者数のうち、半分以上はうつ病に罹患していたというのもどこかで聞いたことがあります。

私も病気の時は死にたいと思っていました。

出口が見えず、

何もかもどうすればいいのかわからなかったし、

何もかもが嫌になっていたし、

勝手に苦しんでいました。

本当に。

例えば職場の上司の奥さんが風邪をひいたとか、天気予報が外れて雨が降り出したりとか、電車が信号トラブルで少し遅れたとかでも、全く私は関係ないのに、全て自分のせいだと思い「ごめんなさい、ごめんなさい」「申し訳ない」とつぶやいていました。

 

今思えば、むしろおこがましい。

何様かよ?神か?ってとこですが。

 

うつの症状として、

勝手になんでもかんでも自分のせいだと思い込んだり、

同じ病気の人たちの中でも自分は特別(悪い)と思い込んだりしてしまうこともあるらしい。

人によって考えも症状も色々だから、

うつだからこうでしょ、って決めつけるのも良くないけど、

私もこうだったよって聞いて、少しは楽になるなら、

私の僅かな軽度のうつ体験も、人様の役にたつこともあるのかもしれない。

 

病気のときの私の思いはこんなでした。

自分は何もできなくて(病気で混乱して、実際できないことが多かったが)、この先も自分が生きていても、自分にとっても、周りにとっても良いことなんかひとつもない。

これ以上迷惑をかけるなら、さっさと消えていなくなった方がいい。

自分は生きているだけで、みんなに(赤の他人も含めて)迷惑なんだ。

死んだ方がいい。

ああ、死にたい死にたい、

どうやったら死ねるの?

 

そんな心境でした。

でも私の場合は病気で脳みそが働かないおかげで、「どうやったら死ねるの?」以降が考えられなかったんです。

具体的に死ぬ方法がわからない。

死ぬのが怖いんじゃなくて、

自殺に失敗して、中途半端に怪我した状態で、苦しみながら生き続けるのが怖かったんです。

そんなもののおかげで、今でもこうして生きています。

病気になる前から、時々母親が「お母さんより先に死なないで」と言っていたのを、思い出せたこともあります。

母にとっては、こんなダメな自分でも生きてる方がマシなのか、と思えました。

もし自殺してしまったら、他の人はしばらくすれば私のことなんて忘れるかもしれませんが、産み育ててくれた母にとっては、その悲しみはずっと背負うことになってしまっていたでしょう。

とどまってよかった。

現実的に死ねる方法が、思いつかなくてよかった。

 

病気が治った今は、

些細なことに生きている喜びを感じることもあるし、

しょっちゅう右肩の上の方でもう一人の自分が「こんな何もできない自分は死んじまえ」って言ってくることもあります。

でもね、どんなにそう言われても、

死にはしませんよ。

落ち着いてくると、心の中では「うるせーよ!」って言い返してます。

再発はしてないけど、認知療法のワークをやろうかと、少し考えています。

 

当然生きていれば、いいことも悪いこともあるけれど、自殺はしない方がいい。

 

自殺した方が迷惑かけるんだ。

 

宗教によってどう言われているのか私は知らないが、

私は自分で産まれることを選んで、この世に産まれてきた記憶はない。

特別、社会に貢献した記憶もなく、グダグダした人生を送ってきたけど、それでも支えてくれた人はたくさんいたし、一緒に笑ってくれた人もたくさんいた。

支えてもらった分のお返しは、まだできてないし。

平均寿命の長い国に生まれ、これだけ天災がおきても、こんなダメな自分でもなぜか今生きている。

死に損ないかもしれないけれど、必死に生きようともがいたのではなく、なぜかたまたま被災もせず、生かされている。

そう、生きることを選んだわけではなく、

生かされているのです。

だから勝手に生を終わらせて、死ぬわけにはいかないでしょう。

なんでこんな私が生かされているのかも、まだわからないし。

一生わからないかもしれないけれど。

本当にお迎えが来て死ぬときには、何か少しは恩返しができてるかもしれません。

 

多分、みんな生かされている。

勝手に苦しみ、勝手に死ぬな!

死んで悲しんでくれる人なんていないと思ってたって、死んだ方が迷惑です!

自覚があろうともなかろうとも今まで多くの人のお世話になってきたはず。

その人たちに謝るんじゃなくて、生涯かけて恩返しして!他の人にそのご恩をリレーして!

 

そんなメッセージがもし届いても、何の励みにもならないかもしれない。

それでも、生きて。

SOSを出して。

考えがまとまってなくても吐き出して。

http://lifelink-db.org

(行政でみかけた自殺予防支援)